最期の言葉
1989年4月6日、松下幸之助は38℃の高熱を出し、気管支肺炎を発症し、松下記念病院で治療を受けることになります。同月20日、主治医に「これから管を喉に入れます。苦しいでしょうがご辛抱ください」と声をかけられ、「いやいや、お願いするのは私です」と声を振り絞って答えました。これが最期の言葉となり、その1週間後に永眠します。
未収録の随筆2本を公開
1968年に刊行された『道をひらく』。人生や仕事への姿勢を書き綴った随想集は、累計566万部を突破するロングセラーとなって読みつがれています。
のエピソードで道をひらくを読みたくなった